ヘルログ

死と地獄の大君、ヘルデスタイクーンについてもっと詳しくなるためのブログです。

かけがえのない友人というもの

について書こうと色々考えてはいたのですが、書いてるうちに段々辛くなってきたので、ヘルデスタイクーンはお休みさせていただきます。

ヘルデスタイクーンと言う名前について

明らかに狂った動機なのですが、この名前はぶるぐを荒らすために作られた名前であり、このアカウントはぶるぐを荒らすために作られた人格です。

ですが、名前は大事です。たとえそれがどんな理由で生み出されたものであっても、名前に注ぐ熱量をケチることは僕の頭の中には存在しない選択肢でした。

ヘルデスタイクーン。名前は大きく分けると三つです。ヘル+デス+タイクーン。綴りは……ブログのURLを見ていただければ分かるでしょう。

ヘル。地獄です。デス。死です。タイクーン。大君です。以上。意味に関してはこれで十分です。

意味よりも大事なものがあるとは言いませんが、語感は大事です。日本人は言葉の音を大事にしてきました。よってここで僕がぶるぐを荒らすために使う名前を考案するに際し、音を大事にしても誰も何も文句は言わないはずです。

似た意味の言葉はたくさんあります。デッド。ショーグン。ジェネラル。彼らは組み合わせた際、語感がイマイチでした。

ヘルデスタイクーン。何となく声に出して読みたくなりませんか?

やるべきことが大量にある状況の解決

タイトルの通りですが、最終的には二つの選択肢しか無いと思います。

即ち、上から一つずつ潰すこと。あるいは、諦めてほったらかしにすることです。

 

前者を考えてみましょう。

まず間違いなく正解で、この案は正しいことフォルダ以外に分類することが出来ないでしょう。日めくりカレンダーは一枚ずつめくっていくものです。「やるべきこと」もまた一つずつ潰していけば、最後に来るのは必ず大晦日です。

この案には致命的な欠点があります。正しいことです。口論の際に人間が一番怒りを覚える反論が何か知っていますか。正論です。正しいことをはいそうですか、とすぐにそのまま受け入れることはとても難しいことです。僕も嫌いです。人に正論を浴びせるのは好きですが。人間は感情の生き物だからです。人間の感情を消し去る技術は未だ発明されていないことになっています。

 

後者を考えてみましょう。

まず間違いなく間違いです。この案は正しくないことフォルダに入れられるべきでしょう。日めくりカレンダーは放置するものではありません。めくって下さい。よろしくお願いします。

この案にも致命的な欠点があり、言葉にする必要も無いものとは思いますが、あえて書き記すとすれば、当然ながら「やるべきこと」は減りません。減らないどころか増えていくことでしょう。こうして人類は日めくりカレンダーの海に溺れて死ぬのです。

 

折衷案があります。

何事も1か0かで判断することは良くないことです。我々はコンピューターではないので、全てをはい/いいえで考える必要がありません。間を取りましょう。

この場合の折衷案は、日めくりカレンダーを好きな日付からめくっていくことに似ています。駄菓子屋によく吊るしてあった、束ねられた当てくじのようなものです。調べてみたら、今はキャラクターシールであることが多いみたいです。

人間は正しくないことを選びがちです。正しくないながらも、人間は正しさを好む生き物だと思います。そういう時にこの案は最も適切、最適です。とりあえず気乗りするものからやっていくし、気乗りしないものはそのまま放置して新たな「やるべきこと」と天秤にかけ、気乗りした方を潰していけば良いのです。これを繰り返していけば、カレンダーの海に追いつかれて溺れ死ぬこともありません。何となく逃げることが出来ます。

 

三つありましたが、最終的には二つです。やるか、やらないか。人間もコンピューターも、根っこの仕組みは同じです。

禁書

禁書というものがあります。

別に焚書しようという話ではありません。原義のものとは違って、ここで言う禁書には権威によって流通を禁じられた書物のことではなく、あくまで僕にとっての禁書と言う概念に過ぎませんが、とにかく禁書というものが僕の中にはあります。

要は禁書とは「読んではいけないとされるもの」です。誰かが「いけないとする」とした本が禁書であるならば、別に僕が禁書を勝手に指定してもそれは禁書と呼んでいいでしょう。いいことにします。

それはからくりサーカスであったり、時としてニューロマンサーであったり、または別の何かであったりします。

要は読んではいけない本なのです。何故読んではいけないか、何故禁書に指定するのか。理由は簡単で、読んでしまうからです。

読んでしまう本、別に本くらい好きに読めばいいじゃないか、そういう意見も当然あるでしょう。別に禁書のことを嫌っていて、読みたくないというわけではありません。禁書の恐ろしいところは、読んでしまう、それがいつどんな時でも、というところにあるのです。

部屋の片づけをしているときに写真アルバムを見つけてしまい、時間を忘れて眺めてしまった。あるいは、テスト勉強中に部屋の掃除をしてしまい時間がなくなってしまった。そういった経験が誰にでもあると思います。自分で決めたはずの優先度を変更する何らかの力が働いているのです。

要は一度読み始めると止まらなくなり、結果ある程度の時間拘束されてしまうほどに魅力のある本のことを禁書と読んでいるだけなのです。面白さこそ、何らかの力の最たるものです。読みたい時に読むのは良いとして、ふとめくってみたら最後、今読み進めている別の本の優先度を低下させ、禁書が上位に割り込んでくる。これでは新しい本はたまっていく一方ですね。

一度読んだことがあるどころか、禁書は何度も読み返しても面白い本です。何度だって読みます。しかし、読んだことがある本を読むことと、読んだことの無い本を新たに読むことを比べた場合、単純な効率の面で言えば、後者に比べ前者は時間を無駄にしていることになります。

別に同じ本を何度も読み返すことが嫌いなわけではありません。面白ければ何度でも読みます。手の届きやすい場所に配置している本は、何度も読んだ本ばかりです。だからこそ何かの拍子に手にとってしまいますし、読み返してもしまう。

禁書は不本意に失わせる力が極端に高い、極めて危険な本なので、僕はこれを禁書と呼んで恐れているのですが、手の届きやすい場所にあるので、未だ何らかの力に打ち克ったことはありません。

ブログを書くこと

こんなことをやっている場合ではないのです。

ブログを書くのに必要な時間は人によって、あるいは使用しているツールによって大きく変わってくると思いますが、結論から言えばそれは大きな違いではありません。

結論から言えばと言いました。結論を言いましょう。

ブログを書いている間はブログを書くことしか出来ないのです。

何のためにブログを書くのか。日記代わりの人も居れば、アフィリエイト目的の人も居るでしょうし、私には想像もつかないような理由で書いている人が居るかもしれません。誰かを不快にするためだけに毎日一定の時間と労力を消耗する人が居てもおかしくは無いのです。

私の場合は違います。私の場合、何かをやっていることを感じるために書いているに過ぎません。

ブログを書いている間は安心できるのです。他にやらなければならないこと、やりたいと思いつつも全然出来ていないこと、やるやると言い続けてそのままになっていること、そういった後ろめたさを、ブログを書くという一見前向きな行為がある程度打ち消してくれます。ブログを書くのに労力を使った、だから今日は他のことはしなかった。

自分を救うためにブログを書くことは、果たして不健全なことでしょうか。

こんなことをやっている場合ではないのですが。

ヘルデスタイクーンのブログが始まる

ヘルデスタイクーンです。

このブログは私ヘルデスタイクーンの日々のよしなしごと、趣味、そして死と地獄の大君としての毎日など、色々なことを書き綴れたらいいな、と思っています。

三日坊主にならないこと、生と天国の将軍ヘヴンリヴィングショーグンに目をつけられないこと、などを目標にしています。