禁書
禁書というものがあります。
別に焚書しようという話ではありません。原義のものとは違って、ここで言う禁書には権威によって流通を禁じられた書物のことではなく、あくまで僕にとっての禁書と言う概念に過ぎませんが、とにかく禁書というものが僕の中にはあります。
要は禁書とは「読んではいけないとされるもの」です。誰かが「いけないとする」とした本が禁書であるならば、別に僕が禁書を勝手に指定してもそれは禁書と呼んでいいでしょう。いいことにします。
それはからくりサーカスであったり、時としてニューロマンサーであったり、または別の何かであったりします。
要は読んではいけない本なのです。何故読んではいけないか、何故禁書に指定するのか。理由は簡単で、読んでしまうからです。
読んでしまう本、別に本くらい好きに読めばいいじゃないか、そういう意見も当然あるでしょう。別に禁書のことを嫌っていて、読みたくないというわけではありません。禁書の恐ろしいところは、読んでしまう、それがいつどんな時でも、というところにあるのです。
部屋の片づけをしているときに写真アルバムを見つけてしまい、時間を忘れて眺めてしまった。あるいは、テスト勉強中に部屋の掃除をしてしまい時間がなくなってしまった。そういった経験が誰にでもあると思います。自分で決めたはずの優先度を変更する何らかの力が働いているのです。
要は一度読み始めると止まらなくなり、結果ある程度の時間拘束されてしまうほどに魅力のある本のことを禁書と読んでいるだけなのです。面白さこそ、何らかの力の最たるものです。読みたい時に読むのは良いとして、ふとめくってみたら最後、今読み進めている別の本の優先度を低下させ、禁書が上位に割り込んでくる。これでは新しい本はたまっていく一方ですね。
一度読んだことがあるどころか、禁書は何度も読み返しても面白い本です。何度だって読みます。しかし、読んだことがある本を読むことと、読んだことの無い本を新たに読むことを比べた場合、単純な効率の面で言えば、後者に比べ前者は時間を無駄にしていることになります。
別に同じ本を何度も読み返すことが嫌いなわけではありません。面白ければ何度でも読みます。手の届きやすい場所に配置している本は、何度も読んだ本ばかりです。だからこそ何かの拍子に手にとってしまいますし、読み返してもしまう。
禁書は不本意に失わせる力が極端に高い、極めて危険な本なので、僕はこれを禁書と呼んで恐れているのですが、手の届きやすい場所にあるので、未だ何らかの力に打ち克ったことはありません。